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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和60年(ラ)18号 決定 1985年9月09日

抗告人

稗田貴美子

右代理人

八十島幹二

吉川嘉和

吉村悟

相手方

社会福祉法人福井県福祉事業団

右代表者理事

中川平太夫

主文

一  原命令を次のとおり変更する。

二  相手方は抗告人に対し、昭和六〇年四月一日以降昭和六一年三月三一日まで毎月二一日限り一か月金八万円の割合による金員を仮に支払え。

三  抗告人のその余の本件仮処分申請を棄却する。

四  申請費用は第一・二審とも相手方の負担とする。

理由

第一本件抗告の趣旨及び理由

別紙<省略>記載のとおりである。

第二当裁判所の判断

一被保全権利

一件記録によると、抗告人は相手方経営にかかる国民宿舎「福井県トンネル温泉つるが荘」に応接員(サービス係)として勤務していたが、昭和五八年八月二二日をもつて退職する旨同日付退職願を相手方に提出し、これが受理されて同月三一日付で退職となつたこと、ところが、抗告人は退職願を出さなければ懲戒解雇になり退職金も貰えなくなると誤信して右退職願を出したものであつて、同退職の意思表示は錯誤に基づくもので無効であると主張し、福井地方裁判所に地位保全等仮処分の申請をしたこと、同裁判所は同事件(同庁昭和五九年(ヨ)第三五号)につき、抗告人主張の被保全権利について疎明ありと認め、昭和五九年五月二五日「債権者(抗告人)が債務者(相手方)に対し労働契約上の権利を有することを仮に確認する。」旨の仮処分命令を発したが、賃金仮払いを求める申請については必要性の疎明がないとして同日これを却下したこと、相手方は右仮処分認容部分について異議を申立て、同庁昭和五九年(モ)第一八〇号仮処分異議事件として係属し、現在も審理中であること、ところが相手方は、右仮処分異議事件が相当の期間内に判決に至るであろうとの予測と原命令尊重の考えから、前記地位保全仮処分命令を任意履行することとし、抗告人の就労を受入れ、抗告人は同年五月二七日から再び「つるが荘」で応接員として働き、正規従業員と同等の賃金を得てきたこと、しかるに相手方は昭和六〇年二月二七日に至つて、抗告人に対しもはや就労を受け入れることはできないとし、同年四月一日以降は出勤しないようにと通告してきたこと、そこで抗告人は同年四月二日原裁判所に対し、「債務者は債権者に対し、昭和六〇年四月以降毎月二一日限り、金一六二、七五〇円を仮に支払え。」との本件賃金仮払命令申請をしたところ、原審は同年五月八日必要性につき疎明がないとしてこれを却下したこと、本件はその抗告審であることが、一応認められる。

以上によると、抗告人の被保全権利は、福井地裁昭和五九年(ヨ)第三五号地位保全仮処分命令において肯定されているばかりか、本件の原命令においても特に否定されていないことが明らかである。もつとも、前者については異議事件が係属しているが、本件記録上では右仮処分命令が取消される可能性があるや否や判明しないから、現状としては、当裁判所も右先行の仮処分命令を尊重し、本件についても抗告人の被保全権利を肯定するのが相当であると考える。

二保全の必要性

賃金の仮払を命ずる仮処分は、債権者の現在の危険・損失を避けるために、緊急処置として必要額と必要期間内に限り、賃金額以内の金員を仮に支払うものであつて、その限りにおいて債権者は債務者の損失において確定判決の執行によるのと同等の満足を享受することになるものであるから、それ相応の必要性が要求されることは当然であるといわねばならない。

そこで本件につき判断するに、前認定事実によると、抗告人は昭和五八年八月二二日付で退職願を提出しているから、その意思表示が法律的に有効か無効かは別として、抗告人自身は当時退職する積りで退職願を提出したものと認めるを相当とすべく、そうだとすれば、抗告人は退職後の生活設計についてある程度の見通しを立てていたものと考えられ、自ら提出した退職願が受理された途端に、生活上の緊急状態に陥つたということは、事案の経過からみてとうてい認められるものではない。従つて、前記昭和五九年(ヨ)第三五号事件において、賃金仮払仮処分申請が必要性につき疎明なしとして却下されたのは当然というべきである。しかしながら、相手方は前記地位保全仮処分命令を任意に履行し、昭和五九年五月二七日から昭和六〇年三月末日まで約一〇か月間、抗告人を従業員と同等に扱い賃金の支払をしてきたため、抗告人は相手方に継続して雇用されているのと同様の事実状態が形成され、しかも期限を切つての就労受入れでなかつたことから、今後もこれは継続されるであろうとの期待が生まれてきていたといつても過言でないというべきである。従つて、かかる状態のもとで、昭和六〇年二月に至つて、同年三月三一日限りで就労を拒否する旨通告されたのであるから、抗告人としては突然の出来ごとというべく、将来の生活設計を急拠検討しなければならない事態に陥つたと認めるのが相当である。従つて昭和五八年八月二二日付退職願を提出した当時とは事情も異なり、別の状況下にあつたものというべく、従つて、右退職願提出当時、将来の生活設計が出来ていたと認められるからといつて、昭和六〇年四月当時もその設計がそのまま継続していて、かりに、突然失職しても生活に不安はなかつたと速断するのは相当でなく、改めて右時点における必要性を検討する必要があるというべきである。

そこで昭和六〇年四月時点における必要性を検討するに、一件記録によると、抗告人は昭和四七年に夫と離婚し、三人の娘を引取り養育していたが、すでに一人は他に嫁し、抗告人は敦賀市内で建物を賃借して喫茶店を経営している二人の娘と同居していることが一応認められる。しかし右喫茶店経営の収支は明らかでなく、結局これまでは抗告人の本件賃金収入と二人の喫茶店経営による収入の合計額によつて三人の生活が維持され、娘二人の結婚資金として若干宛が蓄積されてきたほかには特に余裕もなかつたと認めるを相当とすべく、従つて、抗告人の本件賃金収入が全面的に途絶えると、子供らが結婚資金を割いてまで抗告人の面倒をみない限り、抗告人の生活は困窮状態に陥ると推定せざるを得ない。もつとも、昭和五八年八月退職願を提出した当時、抗告人は将来の生活設計を立てていたと認められることは前記のとおりであるが、かりに当面退職金をもつて生活し、なくなれば他に再就職する積りであつたとしても、今回は退職金は訴訟対策上供託中であつて使用できず、年令(当五一歳)からみて身体条件に適合する就職先が早急に見付かるかどうか必ずしも明らかではないから、この点から判断しても必要性を肯定せざるを得ない。すると抗告人には、賃金仮払の必要性があると認められるのでその額と期間につき判断するに、一件記録によると、これまで毎月二一日払で本俸一五万〇五〇〇円、住宅手当一万二二五〇円合計一六万二七五〇円(手取り約一四万円)の支払を受け、(イ)家賃・共益費二万六〇〇〇円、(ロ)電気・ガス・水道・灯油代三万五〇〇〇円、(ハ)電話料・テレビ受信料五〇〇〇円、(ニ)食費(主食・副食)五万五〇〇〇円、(ホ)生命保険料一万三〇〇〇円、(ヘ)その他(交際費・被服費・雑費)二万三〇〇〇円の支払に当て、不足分はボーナスで埋合わせていたことが一応認められる。しかしながら、右(イ)(ロ)(ハ)(ホ)の支出金は他の同居者において負担して然るべきもの或いは負担可能なものが含まれていると認められるので、(ニ)(ヘ)を中心とし一か月手取り八万円(所得税源泉徴収額分は相手方において賃金留保分より納付することになる)の限度でしかも期間としては、抗告人の経験からみれば働き口はあると考えられるので、自力で緊急状態を回避するため就職先を探す期間即ち本決定後約六か月先の昭和六一年三月末日までに限定するのが相当であり、右限度で仮払いを認めることによつて、当面の緊急状態は回避することができると判断するのが相当である。右限度以上の仮払いを命ずる必要性については、現時点では疎明はないというべきである。

三すると、抗告人の本件仮処分申請を全部却下した原命令は相当でないので、これを右認定の限度で変更することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条、第九二条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官井上孝一 裁判官三浦伊佐雄 裁判官森髙重久)

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